京都の弁護士真田千雅子(京都弁護士会所属)の書籍紹介

こんにちは、京都の弁護士の真田千雅子です(京都弁護士会所属)。

 

みなさんは、最近誰かから叱られたことはありますか?

 

ある程度年齢を重ねられた方は、日常で叱られる機会は少ないかもしれません。

他方、若い方は、学校や職場など、あらゆる機会に叱られることがあると思います。

もっとも、最近私が読んだ本では、最近の若者は叱られ慣れていない人が多いと指摘されています。

その本とは、『叱られる力』(阿川佐和子著、文藝春秋、2014)です。

 

極端な例では、上司に叱られた新入社員が、その翌日には辞表を提出することもあるそうです。

たしかに、他人から叱られると、たとえ叱られた理由が合理的なものであったとしても、精神的に大きな苦痛が伴うため、誰しも叱られたくないと思うのではないでしょうか。自ら進んで叱られたいと望む人は稀だと思います。

ただ、叱られる側だけでなく、叱る側も精神的負担は大きいはずです。

なぜなら、叱るという行為は想像以上に体力を消耗するものですし、叱ることによって相手から嫌われるかもしれない等の精神的リスクを負担するものだからです。

そして、人(ex上司)が相手(ex部下)を叱るのは、その相手に改善すべき点があり、当該相手であれば改善することができると考えているからです。

「叱られているうちはまだマシ。」

この言葉は、先日私の先輩弁護士が言っていたものです。

叱られるということは、自分が期待されていることの裏返しであり、期待されなくなったときには叱られるどころか相手にされなくなるのだそうです。

 

もっとも、叱られる側にも心構えが必要であり、上記で紹介した『叱られる力』では、ある言葉が紹介されています。

それは、「言い訳は進歩の敵」という言葉です。

みなさんは、誰かから叱られたとき、自分の中で言い訳していませんか?

「そんなこと言われたって、あれは自分のせいではない」

「時間がなくて出来なかっただけ」

人に叱られたときは、つい言い訳したくなるものですが、ぐっと我慢して真摯に叱られた理由を自問自答するように心掛けるべきだと指摘されています。

 

冒頭でも申し上げましたが、人は年を重ねるごとに、他人から叱られる機会が少なくなるのではないでしょうか。

そうすると、自分に正すべき点があったとしても、まわりから指摘してもらうことができなくなるおそれがあります。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生(末代)の恥」ということばがあるように(少しニュアンスが異なりますが)、若いうちに多くの人から叱られて辛い経験を重ねておけば、年齢を重ねたときに自分を輝かせてくれることになるのではないでしょうか。

そう考えれば、人から叱られたとしても、ただ辛い、苦しいと感じるだけで終わることなく、自分を成長させる絶好のチャンスに変えることができるはず、と『叱られる力』は教えてくれました。